「北海道交通事故被害者の会」会報一覧(その1) 1号〜10号

会報一覧  発行日  内容一覧(数字は掲載ページ)
1号 1999年12月10日 @「交通事故被害者の会」が発足
A設立に当たって 会則
2号 2000年4月5日 @「地獄の日々今も」 
A「お父さん、お母さん」 「車社会の変革を求めて」
B「一警察官の心無い対応」 
C「人を殺した自覚のない」運転手
D「今も残る27年前の傷跡」 
E癒されぬ輪禍を読んで
F「高校生は友の交通死をどう受け止めているか」
3号-1(1〜6ページ)

3号-2(7〜12ページ)
2000年8月10日  @「父を返して」
A定期総会を開催
C懇談会での発言から
E講演記録「これでいいのか交通事故」(ジャーナリスト:柳原三佳)
F「母を亡くして」
G「突然、忘れることのできない鈍い音」
H「お互いが助け合う『被害者の会』」
I「交通事故の加害者に対する刑罰について」
J「息子の思い出とともに走る」 「交通安全の願いを千羽鶴に込めて」
4号 2001年1月10日 @「僕はたった七歳で逝きたくなかった」
A「悪質交通犯を厳罰に」 
C被害者への手紙
D「民事裁判を終えて」
E「被害者が交通安全講話をする意義」
 「『未必の故意』による交通犯罪を考える」
5号 2001年4月20日 @「ヒロへ」 A「フォーラム・交通事故」開催
C「26歳で奪われた命」
D加害者の弁護士は、被害者の人権を考慮しているのだろうか」
E被害者への手紙〜2
6号-1(1〜5ページ)

6号-2(6〜8ページ)
2001年8月10日 @講演記録「分離信号の必要性」(長谷智喜)
B2001年定期総会開く 
C「裁判と加害者」
「反省のない加害者を生む日本社会」
D「ご挨拶」
E「交通安全講話で思うこと」
F法務大臣へ31万9千筆の署名を提出(井上保孝・郁美)
7号 2002年1月15日 @「フォーラム・交通事故U〜事業用自動車の事故ゼロのために〜」
F「みなさん頑張っていますか」
「上告は棄却されました」
G「ご挨拶」
H「危険運転致死傷罪の新設について」
I講演記録「交通事故被害者の心とからだ」(上)(医師:久保義彦)
8号-1(1〜3ページ)

8号-2(4〜8ページ)
2002年4月10日 @「あの日から」
A経営者の『代理監督責任』を認める画期的判決
B「上川橋交差点が分離信号に」(長谷智喜)
「書面での報告義務、違反には罰金」(柳原三佳) 
C講演記録「交通事故被害者の心とからだ」(下)(医師:久保義彦)
D「なぜ検察審査会も司法と同じ結果なのか」
9号-1(1〜4ページ)

9号-2(5〜9ページ)

9号-3(10〜12ページ)
2002年8月20日 @講演記録 「いのちの重さを伝えるために」(井上保孝・郁美)
C2002年定期総会
D特集「生命のメッセージ展in札幌」
I「真実を、命の尊厳を」
J「あれから23年」
「控訴取り下げ、代理監督者責任が確定」
10号-1(1〜8ページ)

10号-2(9〜12ページ)
2003年1月10日 @フォーラムV「裁かれるのか、交通犯罪」
A 「私たちはなぜ告訴したのか」   「危険運転致死罪は飾りか」
B 「『死人に口なし』の捜査と裁判」 「なぜ真相が明らかにされないのか」
C 「真相究明への被害者の関わり方」
D 「土場さんの事件に関わって」 「初動捜査の徹底と科学化、情報開示を」
E 「交通犯罪絶滅めざし制度改革を」E 「要望書のとりくみ」