「今も残る二十七年前の心の傷跡」 札幌市 池下 カズエ |
昭和48年6月7日の朝、元気に行って来ますと出かけて間もなく、電話が鳴り受話器を取ると、 警察ですがお宅に博さんという人おりますかとの問いかけ、そして、 36号線の月寒と美園との境界で交通事故との知らせに、急ぎ主人と現場に急行した。 現場には博の自転車がありその奥にダンブカーがありました。 自転車が博の物であることを確認したところ、初めて警察の方から即死ですと言われました。 東警察署へは主人が行き、私は何が何だか判らず家に戻りました。 間もなく、博は白木の箱に入って帰って来ました。 何が何だか判らないうちに葬儀が済み、加害者との話し合いになりました。 なかなか話し合いが進まずそうこうしているうちに、加害者に飛ぴ込み自殺だと言われ、 また裁判にしたら言いたい事言えるからとも言われた。 どうして博が自殺などするか、親として考えられませんでした。 空手の初段を取り、目指す大学の模擬試験も合格ラインにあって喜んでいたのにどうして・・・。 刑事事件は、検事の方は証拠と目撃者が一致しないと起訴できないと言われましたので、仕方なく民事裁判に訴える事にしました。 加害者は、私は何も悪くない、裁判にしたら無罪を主張するからと言っていました。 主人は、裁判官に、加害者から「勝手に飛ぴ込んだ」と言われたり、 約束の日時を勝手に破るなど信用ができないので、裁判をお願いします、 また裁判の結果がどのようであっても従いますと申し述べました。 裁判の結果は、私達の完勝でした。 加害者は裁判所から言われたことを完全に実行することなく、 夜逃げをして行方不明となり今日に至っております。 子供は死に、裁判やらなにやらですっかり疲れました。 でも、私達は親ですから一日でも長生きして供養しなけれぱと頑張ってきました。 来る6月7日で27回忌を迎える事になりました。 ここまで、生きてこれたのも皆々様に助けられた事と感謝しております。 最後に、親を亡くした交通遺児の事を考えます時、遺りきれない思いがします。 また、加書者は、どう考えている事でしょうか? こんな思いは2度としたくないです。 又、誰にもさせたくありません。 毎日、交通事故のない様に析っております。 |
「今は亡き息子の歳を数えて」 北広島市 M・S |
昭和60年6月27日、幼稚園から帰ってきた孝憲は、運動会の練習で疲れたのか、 弟と一緒に昼寝をしていましたが、友達が遊びにきたために、遊びたくないと言う孝憲を無理に遊びに出したのです。 買い物から帰って暫くすると、玄関のチヤイムが鳴り、出てみますと 「お宅のお子さんが事故に遭ったので急いで行って下さい」と言われ、急いで現場に駆けつけました。 現場では、若い男の人が「すみません、すみません」と繰り返して言っていたのと、 孝憲の自転車と上靴が目に入りとても悲しかったです。 まさか自分の子供が交通事故に遭うなんて信じられない気持ちでした。 現場の警察官に、救急車で病院に収容されたので病院に行って下さいと言われ、 病院に駆けつけ、主人が連絡を受けて来てくれるまでとても長い時間に感じられました。 手術が終わり看護婦さんから、全身打僕で首の骨が析れていると聞かされました。 顔は無傷で体も温かくまるで眠っているようでした。 私は、悲しさで胸が張り裂けそうになり、 「孝ちやん、あれほど気を付けてねと言ったのに、孝ちやん、孝ちやん・・」 と名前を呼べば起きてくれるんじやないかと、名前を呼び続けて泣きました。 主人も私もどうしたらいいのか判らず、ただ孝憲の体をさすっていたら、 看護婦さんに何か浴衣などの着替えをと言われ、家に取りに帰ったのですが、 その浴衣を着て天国に行ってしまうなんて夢にも思いませんでした。 後は何が何だか判らないうちに、周りの人達が準備をしてくれていました。 そして、枕飾りの時に、19歳の加害者が両親と共に訪れました。 彼が免許を取って3ヶ月だったことと友人と一緒に乗っていてカセットテープの操作に夢中で前を見ていなかった上、 スピードを30キロもオーパーしていたことを知りました。 その後、何回かお参りに訪れましたが、 彼らを許すことが出来なかったのは、孝憲を眺ねた車で平然と来たことでした。 私は、彼の母に電話をして「ひどいじゃありませんか、孝憲の跳ねた車で来るなんて・・」と訴えました。 彼の母は「私達も行くのに足がないし、息子も可哀想だ」言いました。 事故の時に居合わせた女性がお参りに来てくれ、現場で孝憲の側に駆け寄り 「しっかりね、今救急車を呼んであげるから」と言ったそうですが、孝憲は、 虫の息で「お母さん・・・」と小さな声で言ったそうです。 最後に、私のことを呼んで亡くなるなんて、どんなに不安な気持ちで逝ったんだろうと思って泣きました。 植物人間でもいい、孝憲に生きていて欲しかったです。 火葬場に行き、棺が運ばれドアが開まった瞬間、もう2度と生き返ることがないし、 孝憲に会えないと思うと、自分が死んだ方がましだと思うぐらい悲しく、辛かったです。 弟がいなければ自殺していたかもしれません。 何とかこの子のために頑張らねばと思いましたが、 3回忌ぐらいまでは家に閉じこもっていました。 孝憲が亡くなって3ヶ月後に事故現場に押しボタン式の信号機がつきました。 もう少し、早く付いていればと残念で、そして悔しく思いました。 加害者も未成年と言うことで、罪も軽く、死んだ者は本当に損だと思いました。 未成年だと罪が軽くなるのでしたら、責任のとれる年齢になるまで免許を与えなければ良いのではと思います。 私は、下の子供を甘やかし、外で遊ばせることがとても不安に感じ、家の中で遊ばせておくようになりました。 まともな子育てが出来なくなったことで、色々な悩みにぶつかり、今も苦しんでいます。 交通事故が孝憲の人生を奪い、私達の運命をも変えてしまいました。 死んだ子の歳を数えるのは辛いのですが、思い出すのはあの子の姿は5歳のまま、 生きていれば来年は成人式です。 私達のような悲しい想いをする交通事故が少しでもなくなることを願って、 私自身も安全運転を心がけたいと思っております。 |
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あの日から50年過ぎましたが、昨日のようです。 「郭公の鳴くを我が名を呼ぶと言う 逝きし言美の詩情哀しき」 やはり悲しい運命で終わる子供だったのでしょう。 昭和25年6月28日、交通事故で亡くなりました。 昨日まで元気だった「ことみ」が今日冷たくなっていまう、 私はもう笑う事はないだろうと悲しみの大きさに涙も出ない程でした。 岩内からイカを運ぶ車が、前からの車に気を取られ、道端にいた子供を引っかけてしまったのです。 交通事故と言っても、出血等の外傷はなく、亡くなった日の夕方、 腹部にタイヤの跡がはっきり出ていました。病名は、腹部内血出との事、顔も体も綺麗なままで亡くなりました。 何日もこれが夢であったならと思いました。 1年生になり、運動会に喜び、遠足と喜んでいましたのに、言美は遠くに逝きました。 チョコレートの味も、ケーキの味も知らずに逝った言美、50年過ぎても、毎日、ほしい、 ほしいと病院で言っていた「水」を供えています。 8歳で亡くなった言美が、 もし存命なら何処で暮らしているだろうかと思い数えてみると56歳なのに、私には1年生の幼い面影です。 年毎に散りては咲ける花ともし 逝きたる吾子の帰り来るなし 子供が悪いと同乗していた社長の言葉に立腹、岩内裁判所に中し立て、 子供に何も悪い所はない事をはっきりさせました。 今の様に道路交通法云々とうるさくなかった昭和25年、 私は言美に欠点がなかった事で、そのまま何の金銭的な要求はしませんでした。 裁判を起こした事で、子供の死によってお金を得た等と言われたくなかったからです。 言葉麗しき女の子に育つ様に名づけた「言美」、その時履いてたスカートを今でも持っています。 いずれ逝く自分と一緒に火葬してほしいと話しております。 83歳ではこんな書き方より出来ません。 一生笑うことがないだろうと思っていましたが、現在は笑うことも出来ますが、6月28日は、あれから50年になります。 綺麗で、何処にも怪我のなかった言美が今でも哀れでなりません。 |
「遺影の中の彼は、笑っている」 虻田町 T.N |
遺影の中の彼は、笑っている。私の好きな顔だ。でも・・・・・ 黒い枠に囲まれたその笑顔は永遠に変わる事はない・・・・。 あの人がこの世から居なくなって1ヶ月が過ぎた。 彼の突然の死を知って信じられない気持ちで、鳴らない携帯電話を眺め続けた。 私とは離れた街で暮らしている彼の死を、その時は受けとめられず、1日また1日と過ぎて、 遊ぴに来るって言ってたゴールデンウィークを迎え、少しずつ彼の死が現実になりつつあった。 「また、絶対逢いたいから予定を決めて近いうちに電話する」という言葉を最後に、 2日後に死んじゃうなんて・・・・・。 さみしいよ、苦しいよ、どうしてなの? 嘘つき。 父の四十九日を終えた週末、少しでも楽になりたくて彼に逢いにえりも町まで行ったけれど、 私を迎えたのは、えりもの美しい景色と彼の死という現実。 彼の車が激突してすざましい形に変形したガードレール。 信じたくなくても信じない訳にはいかないんだね。 もっと逢って話したい事、沢山あったんだよ。 あなたが私に話せないでいた「あなたの過去」もあなたの口から聞きたかったよ。 そして、私の事ももっと知ってほしかった。 あなたを殺したスピードが憎いよ。 あなたとの会話が途切れない様に申し込んだcdmaOneもうあんまり必要なくなっちやった。 15日20..41の着信履歴を消せる日、いつかくるのかな〜。 「悲しみの色は、墨の色、いつか薄れて消えていく」でも、私の心の色は、今も真っ黒の色のままです。 |