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「親が子供を失うとは・・・」   当別町  澤村 まさ子 

 12月1日、大学からの電話に軽い気持ちで受話器を取りました。  「娘さんのことで悲しい知らせがあります。」と、先生に言われた時は、 さほど気にも止めませんでしたが、「娘さんが朝7時に亡くなりました」 「えっ・・・・」そのあと何を言ったか覚えていません。

 娘は私と同じに看護婦になろうと看護大学の2年生でした。 そして、娘は私に夢と希望を与えてくれました。  初めはイヤと言っていたのが、将来性があると高校3年の秋に看護婦になると言い、看護大学に入学しました。  入学してからは、何でも相談してくれ、私も大学生になった気分でした。
 一時は理想と現実のギャップに悩みもしましたが、「これから要領よく生きるわ」と言っていた矢先の事故でした。  娘は、前に止まっていた車に追突してしまい、謝りにいくため車外に出た時、 後方からスピードを出してきたトレーラーに跳ねられ、前の運転手さん共々引かれて亡くなってしまいました。  見通しの悪い道は、よけい気を付けて運転しなければいけないのに、悔やんでも悔やみ切れませんでした。

 私の夢も希望も無くなってしまいましたが、あの子の残してくれた友達がみんな良い人達ばかり、 私達のことを気にかけてくれます。その人達と居ることが心が安らぎます。
 私達は、あの子が「卒業したら北海道で幕らしたい」と言う夢を叶えるために、 3年後には、三重からとうとう北海遣の住民になってしまいました。

 1日たりともあの子のことは忘れたことはありません。 どうか、運転手の皆様、交通ルールは守るようにして下さい。

 親が子供を失うと言うことは、どんなに悲しいものか考えてください。  逆に見ると言うこの辛さ、その身にならなければ判らないと言いますが、こんな思いは、他の誰にも味わってほしくありません。
 私も運転する身です。ルールを守り安全違転に心がけます。 運転手さんも呉々も事故のないようにお願いします。


「心の底から詫びる誠意は・・・」   札幌市  佐藤 京子

 事故は、記録的な猛暑となった平成6年7月28日に起きました。  小学校の夏休みに入り3日目の事です。
 赤ちやん用品などの宅配業務で駐車場に入って来たワゴン車によるものです。  駐車場に進入してきたワゴン車の運転手は、右前方に子供が2人居るのを確認していながら事故は起きてしまったのです。  運転手は、車の前方5メートル位のところを横切る子供を発見しましたが、ブレーキを踏んではくれませんでした。  そして次に来た息子が轢かれました。 ほぼ即死状態でした。

 息子の博勇はまだ小学校2年生でした。 出掛けは、あれ程元気に「行って来まーす」と言っていたのに、 つい数時間前までは笑顔で話していたのに、なんとあっけないのでしようか。  人の命とは、こうもはかないものなのでしょうか。 とても信じられません。  とても暑い夏でしたので、事故の日の夕方には少林寺の胴着に身を包み、棺の中に入ってしまった博勇。  余りに短い別れ、今でも息子の机の上には、夏休みの計画表が7月27日の所で止まったままになっています。

 加害者の処遇については、警察、検察庁共に教えては頂けませんでした。  処遇を知ったのは略式栽判も終わり、何度の間い合わせに埒があかず、直接検察庁の検事正の方に面会に行った時でした。  検事正のお話では、加害者も深く反省している事と、刑罰と言うものは更正させる為にあり、 その機会を与えなければならないと言う事だったと思います。  しかし、その様な思いとは違い、加害者は、その後、手を合わせに来ようともせず、 その処遇も判らぬまま私達から電話する事も出来なくなってしまいました。  私達の思いとは裏腹に、ついに姿を現す事なく、両親共々住所を変え、 示談する事もなく行方知れずとなってしまったからです。

 何と理不尽な事でしょう。  誠意とは何なのでしょう?加害者に出来る事とは何でしょうか?  自分の身を案ずるより先に、心の底から詫びる事がせめてもの誠意ではないでしょうか。  「車」と言う命さえ奪ってしまう凶器を扱う者への責任とは、これだけのものなのでしょうか。  私の、この様な身を引き裂かれる思いと、無念の気持ちは、この先も消える事はないでしょう。  大切な命が罰金という形で許され、済んでしまうのなら、その罰金を私達が支払うから、 子供を返して欲しいと叫びたい。 加害者は、事故から一日も早く忘れようと努力するが、 私達被害者は、日増しに加害者への憎しみ、子供への思いが募って行きます。

 残念な事に交通事故は一向に減ってはいません。小さな命が失われ続けているのです。  私は、私と同じ様な思いをされる方が居なくなる様に、 これ以上小さな命が儀牲になる事がないように願い、交通安全を訴え続けて行こうと思っています。  そして、今でも博勇は私達の家族であり、心の中で成長し続けているのです。

 天国からいつ遊びに来ても良いように、あなたの場所は開けてあるからね。


「償い」   札幌市  工藤 浩明 

 娘が事故に遭ったのは、平成6年10月31日のことです。 その日もいつもどおり朝「行ってきま〜す」と何度も言いながら団地の階段を降りていきました。  娘の声を聞いたのは、それが最後でした。
 下校途中に青信号で横断歩道を歩いていた時、 右折してきた若者が運転するRV車に轢過されました。  娘は病院での治療も空しく1時間20分後に亡くなってしまいました。
 11月2日は、楽しみにしていた八歳の誕生日を迎えることなく土にかえりました。

 私達が、加害者と会ったのは娘の通夜の時でした。 加害者は22歳の既婚者で子供もいる男性でした。  加害者の言葉遣い,態度など色々怒りを感じましたが、娘を死なせた事をー生忘れさせたくないという思いから、 私達夫婦は、この加害者を受け入れ、自分のした事の重大さや娘に対しての金銭でない償いをしてもらおうと考えました。

 人を死なせた重大さを考えてもらいたいと思ったのですが、それが判らなかったのかもしれません。

 裁判結果は、懲役1年2ケ月の判決、加害者は、事故後も娘を跳ねた車を運転し、 裁判後1度も手を合わせに来ないなど、刑事的な償いは終わっても故人に対する償いは終わっていません。  それをわかってほしいと思います。
 自分の不注意で奪ってしまった命に対してどう償うのか?  償いきれない罪ならどう接していくつもりなのか? 弁護士や他人の考えに左右されずに自分なりの償い方があるだろうし、 遣族の望む償い方もあるはずです。

 加害者は、自分の人権だけを尊重し、亡くなった命、遺族に対しても自分から縁を切っていく、 いろいろなモラルが間われている今日、一番大切な事が刑事裁判の終わりとともに無視されている。
 私達はそんな加害者になんの手だてもなく、 そんな自分勝手なモラルを取り締まってくれる人も機関もこの国にないことに矛盾を感じながら生き残っている。

 自分の遇失で奪った命に対し、心からの思いやりを示すことを加害者本人が気が付くべきだと思っています。

「17歳で交通死した娘からの間いかけ」   札幌市  前田 敏章

 夢であれば早く醒めてほしいと何度思った事でしょう。  朝、駅まで車で送り「行ってきます」と笑顔で別れた娘と言葉も交わすことなく、 病院での変わり果てた姿との対面になろうとは。

 1995年10月25日夕暮、当時高校2年生の長女千尋(ちひろ)は通学帰りの歩行中、 後ろから来たワゴン車に撥ねられ即死。わずか17歳でその全てを奪われました。  現場は千歳の市道で、歩道のない直線道路。 事故原因は、カーラジオの操作に気をとられた運転者が、  赤いかさをさした娘に気づかず、5メートル余りも撥ね飛ばすという重大過失の「前方不注視」でした。

 修学旅行を三週間後に控え、本当に楽しそうな高校生活の娘でした。  その日は友だちとの買い物の誘いを断り、家族と夕食を共にするため帰路を急いだ優しい娘でした。  髪や服装にこだわり、センス良く着こなすスタイリストの娘で、妹や母親と互いにアドバイスしていました。  思春期特有の親に対する反発も峠を越え、これから本当に良い母娘、父娘の関係が出来ると楽しみにしていた矢先でした。

 遺された私たち家族の生活は一変しました。朝起きて食卓を囲めば、 そこに居るべき長女の爽やかな笑顔はなく、二度とあのさっそうとした姿をみることも、優しい声を聞くことも出来ません。  娘がボーイフレンドからもらい受け「サム」と名付けて可愛がっていた犬を、娘に代わって散歩させる度に娘の無念さを思います。  街で娘に似た後ろ姿をみては立ち止まり、テレビを見ても、場面ごとに娘の事を連想し時に涙が溢れます。  旅行に出ても、家族キャンプや家族旅行の長女の笑顔が浮かびます。  家族4人の楽しかった思い出の全ては、淋しさと娘の無念さを思う悔しい過去に変わってしまいました。

 3年以上経った今も、娘のことを思わぬ日はなく、涙しない日はありません。  「果無し」という言葉が今の私たちの心境に最も近い言葉なのです。  私と妻は二女の存在だけを支えに、張り裂けそうな悲しみに耐えて生きています。  娘は病魔と戦ったわけでもなく、避けがたい自然災害に巻き込まれたわけでもありません。  娘に何らの過失も無かったことは裁判でも明らかにされました。  娘は一方的に、人為的な強制力で限りない未来とその全てを奪われたのです。  私は娘の仏前で未だに「安らかに」という声は掛けられません。

 千尋からいつも「私がどうしてこんな目に遭わなくてはならなかったの?」
 「私がその全てを奪われたこの犠牲は報われるの?」と問いかけられているような気がするからです。

 「娘の死を無駄にして欲しくない」これが遺された者の痛切な願いです。  歩行者、自転車という交通弱者が車に轢かれたという報道に接するたびに、 最大の人権侵害が日常的に横行している現実に「これでは娘は浮かばれない」と胸が痛みます。  その意味では多くの遺族が訴えているように、交通犯罪に対する刑罰の軽さも指摘しなければなりません。  娘の加害者も重大過失でありながら、禁固1年は執行猶予つきで、実刑なしの寛刑です。  厳罰の適用で交通犯罪を無くし、歩行者保護を徹底するとともに、 生活道路での歩車分離や公共交通機関の整備など抜本的施策を切に望みます。